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努力は素敵だ。しかし「努力教」はやめましょう。

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こんにちは、ひでおです。

 

てことで今日は、

「努力って実際かっこいいし、素敵だし、感動する。でもそれを美化しすぎて、絶対視しすぎて、あがめてしまうとめちゃめちゃしんどい思いをするよね、うわーん」

って話をします。

 

宜しくお願い申し上げます。


努力はかっこいい。

あなたは、「努力」に対してどう思われますか?

 

僕はシンプルに、ただただ単純に

「かっけえ」って思います。

 

YouTubeや、本などで

・人生を逆転した

・絶対に無理だとおもった種目で優勝した

・病をもってるが、それすらをも凌駕する素敵な人生

・できないことができるようになった

等々、

そういう感動する話ありますよね。

 

僕は正直、めちゃめちゃ好きです。それをみて涙をしたり、元気がでたりします。

一人ひとり、努力のレベルが違う。

ただ、僕はそこで冷静になります。

「一人ひとり、違う体質、環境」つまりは個体差があります。

 

つまりは、一人ひとり状況が違うわけです。

家族関係、友人や恋人の関係、環境による気温差や賃金の差、まわりの人たちの知能レベル、気温や気候、宗教など。

 

そしてさらには、

「やりきった度」も違うわけです。

 

勉強を例に出すと、

A君は「毎日10時間、勉強をしている」

B君は「毎日3時間、勉強をしている」

みたいな感じです。

 

これって数字だけ見ると、「A君はよくやってる」と見えます。

 

しかしもしかしたらB君は、

「3時間、超集中していた」かもしれません。

逆に、

「3時間も集中することは奇跡中の奇跡だった」かもしれません。

 

A君は、

「3時間?それは朝飯前だね。最低でも7時間は余裕でしょ」

というような感じかもです。

 

まぁ話がややこしくなるので、もう切りますが、要するにそういうことです。

 

それぞれの世界での努力のレベルが違うんですね。

 

努力だけでなく運や環境も関係している。

「努力」だけでなく「運」や「環境」もこの先を左右してしまう要素がありますよね。

 

さっきのAくん、Bくんの話も、環境とか運とかも関係しているかもしれません。

 

あらかじめ、親が有能で勉強机やタブレットを与えてくれてたおかげで、自ら勉強を好きになってそれが楽しくてやりまくってるという事もあります。

 

これは「努力で両親がプレゼントしてくれた」ってよりかは、

「親ガチャ」感が強いですね。

 

 

一番リアルで、よくありそうなのが、仕事とかですよね。

どんなに努力して資格取得や、残業をしていてもいっこうに改善しない上司や会社は存在します。

 

あなたがもし「寝ずに働いている」と言っていても、その「寝ずに働かないといけないくらいのヤバい会社」という環境にいる限りは、

自分の体力や思考力、精神力が終わるまで、努力をしないといけないという。

 

これがもしそのままのステータスで、ほかの環境に移動したら、どうなるでしょうか。

 

だいたいは「ああ、良い環境だ」となるパターンがありますよね。

 

そりゃ当然で、あなたがめちゃめちゃ苦労したそのステータスで、環境がガラりと違えば、

その環境では「おお!君のような優秀なひとをまってたんだよ」と言われるかもしれません。

努力よりも大事なこと。

そして努力よりも大事なことがあります。

 

それは「ハマれる何か」と出会うことです。

 

なぜなら、

「ハマるという行為は努力を凌駕する」からです。

 

僕は読書とか好きです。

読書してるときとかって、ほとんどハマってます。

もちろん難しそうな内容とか、金融の知識とか学んでるときは、1つ1つ理解できるように意識してますが、

それは最低限、「読んでるの楽しいから」という思いがあるので、ハマります。

 

ハマってるときって、努力してないんですよね。

 

没頭、没我という言い方もできます。

 

我を没する。つまりは、もう自分のことか周りとかそういうのが浮かばずに、ただただ目の前のことをやっている。という事です。

 

だから知人とかに、

「読書してるの?すご!努力してるんだねえ!」

みたいなことをいう人がいますが、

「いや、暇つぶしですよ。コスパ良いですし。1000円払えば数時間や数日は楽しいです。あと努力というかハマってるだけです。それでまた日常でアウトプットするので楽しいです。」

みたいな感じで言ってます。

 

いわゆるこれを美化したり大げさにいうと、

「努力してる」というような表現になるようです。

 

努めるという事では確かにそれはそうかもしれませんが、前提として「ハマれる」とか「やってて楽しい」みたいなそういう要素があるから、やってるというかんじです。

 

だから嫌な事を努力するより、

好きな事とか、楽しいこととか、やっててハマれることに夢中になったほうが、心身ともに良好になります。

 

これが努力よりも大事なことです。

 

おわりに。努力教にならないように。

そろそろおしまいですが、最後は「努力教」にならないようにって話です。

 

全部が全部「努力したんだねえ」っていうフレーズやワードで納めてしまうと、めちゃめちゃ大変です。

 

なぜならすべての話をまとめると、

・努力してないけど、努力されてる扱いされる

・努力しなくても運や偶然、環境にも影響される場合がある

という結果や経過もあることが、わかります。

 

努力教になると、

「お前は睡眠8時間もとってるの!?努力してないな!」

「3時間勉強!?すくねえ!努力がたりねえ!」

「自分だけ努力してるとおもうなよ!周りのやつらも努力した結果これだよ!」

みたいに、比較をしようとしてしまいます。

 

これって、しんどくないですか。

 

言葉ってブーメランのように自分の脳内に焼き付くので、

「睡眠8時間とったら、ワルモノ」というような言葉を使えば、

 

いざ自分が「本当に眠たい」というときに、

「ワルモノ」というように脳内で響き渡ります。

 

努力教になると、「ぜったい無理ゲー」さえも「努力するしかねえ!」というような単細胞になってしまいます。

 

「給料を上げたい!」と言いながらバイトでどんなに努力しても、高確率で給料は上がりません。

・職種を選んだり(IT系、外資系)

・転職をしたり

そういう風なリアルな動きをしないと、収入は増えないわけです。

 

「努力はかっこいい」と僕は言いました。

 

ただコレだけを妄信してしまうと、ソレしかやれることがなくなり、やがては「努力しなきゃ。。」というような「努力教」になってしまう人が多いので、あえて書きました。

 

努力もいいけど、まずはハマれることや、楽しいこと、ドキドキすることをやりましょう。

 

てことで、おしまいです。

 

最後まで読んで頂きまして、ありがとうございました。

また次の記事でおお会いしましょう。さらば。

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