こんにちは、ひでおです。
「努力よりも、「試行回数」と「情報」が大事だったりするかもね。」って話です。
努力することにつかれたひとや、自分を変えたいってひととか、洗脳されて疲れたってひとの参考になれば幸いです。
宜しくお願い申し上げます。
目次
努力とは?
なるほど。こういうことらしいです。
ひとによって「努力」のニュアンスがちがう。
ぼくは、年上のひとや、先輩に「ひとの3倍努力しよう!」とよく言われたことがあります。
「努力しないと、手に入れることができないよ」とか、
「きみよりも、あのひとは努力をしているんだよ、もっとがんばろう」とか。
こうして文字にするとよくわかるのですが、
「数値で表せない」のです。
ウサイン・ボルト選手や、羽生結弦選手も努力しています。きっと。
どのくらいやれば「努力した」となるのかは、ひとによって変わってしまいます。
甲子園とか、Jリーグとか、ウィンブルドンとかもそうですけど、みんな努力しています。
たぶんプライベートをあきらめて、そして余った時間や体力、思考を、練習に注いで、そして本番へ挑むわけです。
しかし、
敗退したひとたちは、「努力がたりない」のでしょうか?
もしかしたら、練習量が「2倍ちがう」とか「365日、練習をした」とかデータがあるかもです。
なんにせよみんな努力はしているはずです。
でも、勝つひとがいて、負けるひとがいる。
こういう風にとらえると、「努力のニュアンスって、まじひとりひとり違うよなー」ってなります。
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努力しなくていいかも。試行回数と情報をたよりにすれば。
このブログ記事をよんでくれてるひとは、努力していますか?
ぼくは、していません。
この文章力とか、ブログのデザインとか、TwitterやYouTubeの発信をみていただけるとわかるとおもうのですが、まじでひどいです。
自分でこれを書いていて、自虐っぽくて、意味不明です。でもまじでてきとうです。
ただそうして生きていくなかで、ようやく「努力信奉」が抜け出せました。
ぼくはまいにち、合計で10km程度歩いています。15000歩とか。
日頃から自重で筋トレをしたりしているので、
ごはんをたらふく食べたり、お菓子をたべたり、お酒をのんでも、そこまで太りません。
朝も目覚まし時計がなくても、6時~7時ころには目が覚めて元気です、ありがたい。
そしてブログをかいたり、YouTubeに動画投稿をしたり、仮想通貨にお金をすこし入れて増えたりするのを楽しんでいます。
読書も風呂にはいりながらスマホで読んだり、公園で日向ぼっこして読んだりしています。
要するに、試行回数です。そして情報を頼りにしています。
「読書をするのは、大変だ。努力だ。」みたいなひとがいます。
それって「本を読む」ということが苦痛なわけです。
でも、「耳で読む」もありますよね。(オーディオブックやオーディブルなど)
しかしそれすらもやらないひとがいます。
なぜなら、「努力をしないといけない」とか「最後まで本を読まないといけない」みたいな信仰があるからです。
ぼくはこういう「~しなきゃいけない」とかは捨てました。
ぎゃくに「面白そう」とか「使ったら、どうなるんだろう」という興味で、試します。
つまりは試行です。
オーディオブックも「なんか、つまんねえなあ」っておもうなら、やめてもいいのです。
というか本も「これは勉強だ!努力しよう!」ではなくて、
「おもしろそう!読みたい!だから読む!」というスタンスで普段から読んでいます。
おもしろくなければ、途中で読むことをやめてもいいのです。
毎日合計10kmとか自重で筋トレとかも、そうです。
特に目標もなくて、ただ「気持ちいいから」という理由で歩いています。
歩くと、いまの季節だと桜が開花して、それだけで動画撮影のネタにもなりますし、なによりも癒されます。
自重で筋トレも、ほぼ毎日しています。
風呂入る前や、公園で、「そろそろ限界かも」ってくらいまで筋トレします。
余力があれば、休憩してまたおこないます。
これも「努力」ではなく、「試しにやってみよう」程度です。
ついつい「こうやらないと、ダメ!」みたいなそういう概念が発生しますが、
そもそも「がんばろう」って時点でしんどいのです。
だから頑張らずに、しかし、「なんかまだ筋トレしたい」というそのままの欲求に任せて試行すればいいのです。
そして 情報 です。
てかなにこの記事、書きすぎだろ。よんでくれているひといたら、ありがとうございます。
情報は、もはやこの時代、オープンです。
やばくないですか?
AmazonのKindleで、700円とかで本が売られている時代です。
スマホがあれば、いつでもどこでも「情報に触れて、それを生活で使う」ということができてしまいます。。
Udemyで1500円でプログラミング学習ができてしまいます。
何が言いたいかというと、
「情報は、万人に平等にオープンになっている」ということです。
これってすごいですよね。
だって、
- 外国人の発信した情報を日本語に翻訳できるツールがある
- お金持ちが、何にお金を使うのか知れる
- お店や病院の場所を、調べれば行ける
みたいな感じで、
もはや「努力しなくても、知りたいことを知れる」からです。
お金のことで悩んでいるなら、お金の本を読んだり、Voicyでお金のことを発信してくれているひとの話をきけばいいのです。
健康のことや、ライフスタイル、仕事のことも、本を買ったり、動画を観ながら一緒にエクササイズできるのです。
昔なら、
「特別なことをしなきゃいけない」という空気で、
そういうセミナーやダンス教室に「行くしかない。行くことで答えがわかる」という感じでしたよね。
現代なら、情報はオープンです。スマホやPCで入手できます。(オープン=無料のことではなく、解放されているの意味)
それらを入手すると、
「あれ?努力せずとも、身体が健康的に!」みたいな現象が訪れるわけです。
なぜなら、いろんなやり方、いろんな考え方があるからです。
努力せずに、そうして情報に触れて触れて触れまくって、
あとはそれを試して試して試しまくりましょう。
すべては試すだけでいいのです。
試してだめなら、やめればいいです。
試して続くなら、続ければいいのです。
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おわり。長すぎるので。
てことで、おわりです。
長い文章すぎ、そしてまじでノリで書いているので、乱雑すぎてすいません。
しかしこれも試しです。
恥ずかしいとか、ださいとか、時間が無駄とかあまり気にせず、試行です。
これがぜんぜんだめな記事であれば、だれにも読まれないでしょう。
しかし読まれたのであれば、また試せばいいわけです。
決して努力を否定しているのではなく、あくまで「逃げ道」です。
努力を信奉してしまうと、すべての事象において「努力不足だ」と思考停止してしまいます。
やはりタイミングや運、環境、自分のマインド、体調、いろいろな関係でさきが変わることがありますよね。
あなたが勉強苦手でも、筋トレが得意かも。
ぎゃくに筋トレが苦手でも、勉強が得意かも。
そしたら努力して苦手なことを克服せずとも、得意なことをひたすら実行してもいいわけです。
そうすると、もはやそれは努力ではなく「遊び」だったりします。
ぼくも、いま規模がとても小さくてしょぼいですが、まいにち「遊んでいる」という感覚です。
仮想通貨のことや、インデックス投資のこと、税金のことなどもゲーム感覚というか、
学んで、試行して、また学んで、また試行して。を繰り返してみています。
そうすると「こういう風にすれば、自分はラクかも」とまた「てぬきレベル」が上がります。
まだまだショボいですが、ぼくのブログでは恥ずかしくもそういう情報を発信しています。
ぼくみたいな弱者でも、こうして情報に触れて、試行回数を増やすだけでも、とりあえず少しは人生楽しめる。という1つの記録です。
はい、てことでまじで雑記すぎて、長文すぎてやばいのでここまでにしますね。
最後まで読んでくれたひと、本当にありがとうございました
こんな文章をよんでくれたあなたは、とても素敵な人ですよねきっと。あざす。
また次の記事でお会いしましょう。
さらばです。