こんにちは、ひでおです。
「かっこつけてしまう自分」
「見栄をはってしまう自分」
「こんな自分を変えてもっとラクに生きたい!」という人に向けて記事を書いています。
では、宜しくお願い申し上げます。
目次
結論から言うと、
結論から言ってしまうと、
「かっこつけても基本的には無駄な事ばかりなのでさっさと捨てましょう」
というのが結論です。
「基本的には」
という言葉が大事です。
「絶対に、かっこつけちゃダメ!」
などとは言ってません。
それはおいおい説明しますね。
僕はかっこつけてるだけで中身が空っぽだった。
僕は今現在26歳で、バイトをしながらブログやYouTubeで情報発信をしながら、メルカリや他のアプリで小銭を稼いだりをしてとりあえず生きている男です。
元々は2018年12月まで保育園でお仕事を3年間させて頂いてました。
そして収入が低いにも関わらず、車を買ったり、ラルフローレンやトミーヒルフィガーの洋服を購入したり、スニーカーを買ったりしていました。
僕は元々はグローバルワークの洋服だけを着ていましたが、ちょっと見栄を張りたくなると、メルカリや実店舗でカルバンクラインなども購入していました。
その当時からは本も購入してたので、ただただ見栄のためにお金を使ってたわけじゃないですが、やはり事実は事実です。
そうすると、何が起きるかというと、
お金が減るだけなんです。服は飽きがきたり、そして結局は自分が好きな洋服しか着まわさないわけです。
ちょっとはチヤホヤされますが、そんなの本当に短時間です。
読書代にもお金は費やしていましたが、それよりも見栄代のほうが高かったです。
要するに、
「知識より、ちょっと高い服のほうが良い」という感じでした。
そうすると、僕は錯覚してしまいました。
「僕はお金持ちなんだ」
「僕は優秀なんだ」
「僕はカッコ悪いことしないほうがいい」
ブログに分かりやすく書くためにこんな感じで書いてますが、実際このような気持ちはありました。
だけどそれは、「錯覚」です。
実社会では、もっとイケメンがいるし、もっとマッチョがいるし、もっとお金持ちがいるし、もっとハイブランドが存在するし、
もっと賢い人がいるし、もっと勉強してる人がいるのです。
つまり僕が見栄をはっても、隣に「GUCCI」とか「イブサンローラン」を着用した人がきたら、
見栄も金も知識も経験も実力も勝てないのです。
その時、僕は気が付きました。
「僕は悪い意味のバカだ」
「これは本当に僕が着たい洋服なのだろうか」
「僕は結局、見せかけで、中身が伴っていない」
「服で判断してるという自分がいた」
「自分は何者でもないのに、何者かと'見せかけていた'」
こんな感じのダサい自分に気が付きました。
そこから6ヶ月~1年後には、ほとんど手放して、ユニクロのドライEXシリーズ数枚だけで生活しています。
今現在も、毎日スポーツウェアで過ごしていますし、色もサイズも全部同じです。
洋服と見栄を手放した結果
2019年の6月頃からは、ビックTとドローコードのジーンズで過ごして、
2019年10月頃からは、スポーツウェアで過ごして、
今現在5月もスポーツウェアで過ごしています。
こうして洋服や手放した結果、
「バカな自分と共に生きよう」
「見栄よりも知識にお金を使おう」
「かっこつけずに、分からない事は分からないと言おう」
「正直に生きよう」
「どう思われるかは相手次第なのでコントロールできない事はどうでもいい」
と毎日、ありのままの自分で生きれるようになりました。
例えば、知り合いの人でかっこいい洋服や新品の素敵な洋服を着てる人と会ったときは、
「え、それカッコイイ!」
「似合う!」
と素直に反応してしまいます。
相手はシンプルに喜んでくれます。
話を聴くときも、
「これはこうだろ!」と一方的な発言をするのではなく、相手の発言もちゃんと聴いてから、
「なるほど。こうですよね~」というような受け答え、対話も自然にできるようになりました。
分からない表現や言葉、フレーズ、概念などを言われたときは、
「その言葉の意味ってどういう意味ですか?」
「そんな言葉あるんですか!知らなかった!」
と素直に質問して、素直に教えてもらいます。
自分自身が「自分ってバカだな」という前提があるので、無駄に威張りませんし、無駄に知ったかぶりをしません。
見栄やカッコつける事を手放すことで、
「無知な自分」が浮き彫りになりましたが、
そのおかげで「失敗するのは当然」というような考えも自動的に受け入れられました。
そうやって自分の薄っぺらいプライドや汚いベールをはぎ落すことで、
結果的には、
「面白い人ですね」
「いつも楽しそうですね」
「その考え方、共感します」
「そういう話を聴けて勉強になったよ」
と言われることがなぜか増えました笑
ありがとうございます。
「かっこつけ」が癖になるとどうなるか。
では、カッコつけてしまってそれが癖になると、どうなってしまうのか。
基本的には、「マイナス作用」が発動する回数が増えます。
例えば、「洋服の話」
毎月支払いが大変なのに「ブランド服」を購入するとします。
そうすると、「人前では良い服をきているカッコイイ感じの人」になるわけです。
でも人前ではないつまりはプライベートでは、毎日大変な労働だったり単調な労働をしなければいけなくなります。
更には「プチプラを着てる俺は嫌だ」的な無駄な概念が発生することで、
余計に自分でハードルを上げてしまいます。
更には、ようやく買えた高い服なので、汚れや傷、匂いに敏感になります。
「あ、公園の子どもの砂が付いた!チェッ」
「今日は焼肉パーティだ!あ、匂いがついちゃう!チェッ」
「カップヌードル食べてたら汁がついた!ぴえん。15分も時間を無駄にした」
みたいな感じで、神経も集中力も時間も体力も浪費してしまいます。
更には、ブランド品を着てることで「見栄が良い人」と出逢います。
「あ、あの人のほうが俺より良いの着てる。。いいなぁ。。」
と嫉妬して、更に欲が出ます。
本当はすでに良い服を着てるいるのに、そこに歯止めが効かなくなってしまいます。
本当は、洋服より自分の身体を鍛えて、白Tとジーンズだけで充分なはずなのに、
「自分」を着飾るようになると、どんどん手間とストレスが増えて、結果的にマイナス作用が多い生活になってしまいます。
例えば、「知識の話」
全然、お金や生活のこと、知識を知らないのに、わかったフリをしてしまうと、
「俺は俺の経験で全てを知ってる、つまりは全知全能の神で…(省略)」
という風になってしまいます。
お金のことなんてよくある話です。
「お金は危ない!」
「お金は稼ぎすぎたらダメ」
「お金は人をだめにする」
と一方的に拒否反応を示す人がいます。
シンプルに「なんでダメなのか」と聴いても、
「いや、なんかそんな感じするやん」
「やっぱり仕事は汗水たらして稼ぐもんやん」
「親が言ってた」
という感じです。
これを学ばずに「ただただ知ってる」だけで、
それがあたかも「自分は知ってる」と思い込んでカッコつけて
「お金よりやっぱり想いだろ」
というかっこいいセリフを言いながらも、
今日も学ばずに
「ああ~、宝くじ当てたいなぁ」
「まじで100万落ちてないかな」
「俺の腕前を認められて100万かせげねえかな」
とボヤいています。
そして知識もそうです。
「俺の独自の技術で人生を勝つ!」と意気込むのは素晴らしいです。
でも、「その技術」は実は既に「どこかのだれか」が「使ってた」という事がほとんどなんです。
よく耳にするフレーズでいうと、
「アイデアは思いついた時点で、既にだれかも同じことを思いついている」
という感じです。
これを説明したり、そして
「ほかにもこういう技術を説明してくれてる映像や情報がありますよ」
と、教えてあげても、
「いやそれは違う。ダメだ。やはり自分は自分のオリジナルでいかないといけないからね」
という風に「既にだれかがやっている技術」を「自分だけが作り上げた技術」という風に捉えてしまい、
同じことをし続けてしまう人がいます。
本当は、知識や技術、情報なんて今の時代、本当に溢れています。
Google検索で、
「チャーハン 作り方」
「筋トレ 腕 太くする」
「ダイエット 自炊 メニュー」
「音楽 作曲 方法」
「バイク エンジン 直し方」
「ブログ 作り方」
と入力すれば、たくさんの情報や人、知識、技術、映像と触れ合うことができます。
しかし、「かっこつける事」が「癖」のひとは、このスパー神業チートともいえるGoogle機能さえも使うことに抵抗をします。
「検索してみなよ」と言えば→「情報に振り回される」といい、
「じゃあ読書ならいいよね」と言えば→「読む時間がない」といい、
「じゃあ誰かに教えてもらうと良いよね」と言えば→「ほかの人にはできない」といい、
「YouTubeなら倍速で見れるから効率良いよね」と言えば→「その人はたまたま運がいいんだよ」といい、
最終的には、「自分でやるよ」と試行錯誤してるように見せかけて、同じところをグルグルしてるわけです。
少し長い話になってはしまいましたが、
「かっこつけ」という「癖」が長らく習慣になってしまうと、それはかっこつける為ではなく、
もはや「変化ができない古い体質」になってしまいます。
そうすると結果的には、
「洋服」と同じようにお金も時間も体力も労力もただただ浪費していきます。
それどころか、お金や生活、知識というのは毎日の現実への影響がとても強くて、
いきなり日本の制度や習慣、ましてや働き方やお金の価値が変わっても、
「ついていけない」
「わからない」
「なんでか分からないけどお金が減る」
というような状態に陥ってしまう可能性が高くなります。
ということで、
「かっこつけ」が癖になると、どうなるか のお話でした。
終わりに。
ということで、終わるモードに突入しますが、
僕はこの記事を書いていて、改めて
「かっこつけることをやめて、良かった」
と再度確認できました。
何故なら、
「僕は今もなお学んでいるから」
「失敗ばかりでも、楽しいから」
「やれることが増えたから」
「知識が増えてラクできるようになる確率が高まってるから」
「ストレスをめちゃ減らせるから」
「毎日、健康に過ごせてるのが嬉しいから」
です。
かっこつける事を手放すと、人生が好転します。
洋服を手放すと、朝の決断がラクになります。
ミニマリストの人たちが洋服を手放して統一する理由は、やってみると分かります。
見栄を手放すだけで、街中を歩いている人の目線が気にならなくなり、散歩や運動が好きになります。
気分的には「外国行ってるような気分」です。
だれも「あなたのことを見ていない」という事に「気づきます」。
知識や情報を学んで取り入れると、
「自分がいかにまだまだ小さくそして無知であるか」という事に嫌でも気づいてしまいます。
そしてそれは「比べるモノ」ではなく、
「自分が実用する」ということが大事です。
「実用する」となったとき、
「上手くいかなかったらどうしよう」より、
「まずやってみようっと」となります。
なぜなら、
「失敗は成功にとって必要な要素だから」です。
「やってみないと、失敗や成功という検証結果さえも出ないから」です。
そして、これはすべて自分のデータになります。
データ量が少ないのに、そして今現在もデータ量は増えてるはずなのに、ずっと過去のデータに頼ってると、
「当然の如く、データとは違う結果」になります。
過去のデータは、つまりは「過去の自分」なわけです。
今もなお、世界も日本も社会もアップデートをしていて、そして変化をしています。
もはや「過去のかっこいい自分」にしがみついていても、
それは「過去」なので「無いようなモン」です。
なのでかっこつけずに、今現在の自分をとことん愛してあげて、そしてバカな自分をまずは認めて、
そこから学び続けて成長すればいいのです。
僕はかっこつける事を手放したことで、
朝の決断疲れも減り、そして読書していても「この人も教えてくれる」と感謝し、
そしてスポーツウェアで過ごしてるからか健康にもなり、運動量も増えて、
周りからもなぜか「かっこいい」と言われることも少しは増えました。
面白いです。
何もしてないのに、感謝されることが増えました。
「何もしてない」というと変かもしれませんが、
「ありのままの自分」でただ作業したり働いたりしてるだけです。
逆にこっちが感謝です。ありがとうございます。
てことで、かっこつけるのは辞めて、そういう気持ちはさっさと手放して、
誰かと比べることなく、自分のやりたいことをやったり、のんびりして過ごしていくと、
人生が少しラクになりますよ。
というお話でした。
ここまで読んで頂きまして、ありがとうございました。